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2012.06.09 (Sat)

新居昭乃「Our Children's Rain Song」

また1年近く空いてしまった、と1年前のエントリーでも書いている。年刊化は避けたいといっていたのに、3年で3回更新では言い訳のしようもない。。。ところで1年前というと、東日本大震災のあとの非日常的な空気がまだ日本中を覆っていた時期で、ちょうどいまくらい(昨年の6月上旬)には津波で家を流された東北の友人のところへ物を運んだりしていた。


車のiPodにはPerfumeとかLady Gagaとか、わりと景気のいい曲のほかに、新居昭乃の曲も入っていた。陸前高田にさしかかるころには雨が降り込めてきて、水滴の打ちつけるフロントガラスのむこうに津波で洗い流されてなにもなくなってしまった平坦な町が広がり、右手には垂れこめた雲の下で海が黒くうねっていた。そのときランダム再生にしていたiPodから彼女の「愛の温度」という曲が流れてきた。


これは海で死んだ少女の歌だ。事故かなにかで亡くなり、そのまま海底に沈んだ少女の遺体が目を覚まし、「恋人に会いにいかなくては、でも私、ひどい服を着ているわ」と嘆く。つめたい海の底にいながら、かすかに残っている生の温もりを抱きしめ、その温度をよすがに光る水面を見上げ、生きていたときの記憶や夢をたどる。生者が死者を偲ぶのではなく、死者がこの世を偲ぶ--。


雨にけむる三陸の海を濡れたフロントガラス越しに見ながら、ふいに流れてきたこの歌に、戦慄をおぼえた。なんというイメージだろう。どんな音楽でもそうだけれど、それがすんなりと入ってくる時や場所がある。それまでにもなんども耳にしていたのに、このときは歌われたイメージが、あまりにも生々しくしみこんできて、苦しくなるほどだった。道路脇にクルマを停めて、しばらく車の中から雨に煙る廃墟の街をながめ、それから灰色の海を見やり、そして、その底でいまも眠っているかもしれない少女のことを思った。


もう10年以上前、まだ、Perfumeもいなかったし、日本のポピュラー音楽にまったく関心のなかった自分が、どうして新居昭乃というシンガーソングライターの存在を知ったのか思い出せない。ネットのレビューかなんかで読んだのかもしれない。ともあれ、それまで図書館で近寄ったことのない「日本のポピュラー」と区分されたCD棚から「新居昭乃」という、読み方が謎のアーティストのアルバムを手に取った。ジャケットから女性だとはわかるのだが、写真が小さいうえ、顔のあたりはぼけている。名前は「あらい あきの」と読むのだと知った(「しんきょ しょうの」ではない)。


予備知識もないまま聞き始めたその音楽に、自分でも不思議なほど心を奪われた。透明で伸びのある、しなやかな歌声。独特のコード進行によるどこか不安げでありながら神秘的で美しい旋律。その幻想的な曲調にふさわしく、神経のゆきとどいたていねいな音響処理をほどこされた繊細なアレンジ。しかし、なにより自分がひかれたのは、彼女の音楽からただよってくる、いわば〈遠さ〉ともいうべきイメージだったように思う。それはなんといえばいいのだろう、何百光年も離れた天体から望遠鏡で、この地球の出来事を見つめているかのような、そんな遠さかもしれない。


その望遠鏡をとおして見える映像は、数百年前の地球の姿だ。そこではさまざまな出来事や人びとのいとなみがくりひろげられている。嘆いたり、悲しんだり、微笑んだりする人びとの姿がそこに見えるかもしれない。けれども、どんなに生き生きと見えていても、それらはすべて終わったことなのだ。そんなふうに時の終わりから世界を〈思い出〉として見るような、途方もない遠さの感覚が、新居昭乃の歌を聞いていると全身にしみわたり、しずかな絶望感にひたされる。絶望といっても、けっして暗くはない。それはひんやりとひろがっていくような、深く、遠い、しずけさにみちた絶望である。


もっとも、直接的にそういう内容がうたわれているわけではない。そういうことを直接、言葉や音楽で表現しようすれば、かつてのプログレみたいに芝居がかった、思わせぶりで、わざとらしいものになりかねない。新居昭乃のすごさは、さりげない身近なできごとや感情を歌いながら、それが途方もない闇や遠さへとつながっていってしまうことだ。幼い頃、かくれんぼをしていて、ひとりで草陰のくぼみにしゃがみこんでいるうちに、そこが地上の他の場所からずっと遠く、隔たった異界に感じられてしまうように、日常の時間や空間の中に生じた亀裂の中に、いつのまにかすべりこんでしまうかのような、そんなイメージにつらぬかれている。それから新居昭乃のCDを少しずつ、なんとなくこっそり買いあつめていった。クラシックやジャズ、エレクトロニカや民族音楽はべつとして、自分にとって、Perfumeにさきだって生まれて初めて購入した日本人歌手のCDだった。


新居昭乃がつくる歌は、いまの日本のポピュラーミュージックにあふれている、ポジティブなメッセージや、建設的なスローガンとは無縁だ。また、プロテストソングのような社会に対する直接的な反発や皮肉がうたわれているわけでもない。「絆」とか、「本当の自分」とか、「きみはきみのままでいい」みたいな、無責任な空しいメッセージからも遠い。「愛」とか「夢」という言葉は出てきても、それは絶望の果ての白日夢の中にあらわれた幻像さながらに、はかなく響く。ちょっと聞くと癒し系のように聞こえながらも、じつは人間のおかれている本源的な孤独の浅瀬に追い立てられるような怖さをはらんでいる。死や滅び、果てることなく広がる廃墟、無辺の虚空といったものが世界をつつみこんでいて、そのすきまに蜃気楼のように、この生命ある浅瀬がはかなく美しく浮かんでいるようなイメージが湧いてくる。


そうした感覚は、自分にとって、子どものころ、それとは意識せずに感じていた、あのなんともいえないさびしさや空しさにちかい。遊んでいたり、熱を出して寝こんだりしていたとき、ふいに時間感覚がねじれて、ここにいながら、ここがどこかちがう場所に感じられ、その感覚から逃れられなくなってしまう。そんな遠い感情の記憶が、彼女の歌を聞いていると、深い水の底から泡がたちのぼってくるように意識の表層に浮かんでくることがあった。どこか死の影のつきまとう、断片的な記憶が泡のように意識の水面に浮かび、はじけて消える。彼女の歌を聞きながら、そんな弔いをくりかえした。


むかし好きだった本のこともあれこれ思い出した。「パンジー」を聞くと、リンドグレーンが晩年に書いた「はるかな国の兄弟」が思い出され、「愛の温度」を聞くとシュペルヴィエルの「沖の小娘」が、「バニラ」を聞くと、連想がベタだが、20年以上前に読んだジョルジュ・ランブールの「ヴァニラの木」がリアルに思い出された。「ヴァニラの木」はフランスの風変わりなシュールレアリスム小説だ。人工的に栽培のできない野生のバニラを文明人が手なづけようとするが、ヴァニラはけっして実をつけない。ついにチョコレート王ヴァン・ホーテンがヴァニラに実をつけさせることに成功したとき、人間はとりかえしのつかないものを失ってしまうというような話だった。手もとに本がないのでうろおぼえだが、ひとはなにかを喪失したり、忘却したりすることによって、進歩を獲得してきたという、どこか新居昭乃の世界にもつうじる、かなしく美しい話だった。


日本のポップス界のことを知らない自分には、新居昭乃というひとが、いったいそこでどういう位置にあるのか、まったくわからなかった。CDには解説もついてないし、本人の写真ものっていない。たまにのっていても小さいし、顔が影になっていたりする。プロフィールもわからない。もっとも、うちにたくさんあるECMレーベルのCDも顔写真などついてないので、とくに気にもとめなかった。音楽がきければそれでよかった。新居昭乃の音楽は、自分のなかで特別な存在ではあったけれども、その人物は象徴というか記号のような存在でありつづけた。だから、昨年の冬、エジプトの革命についてぼくが書いたブログの記事に対して、ツイッターでAkino Arai というひとがコメントしているのを見たときも、それがあの新居昭乃だと気づくのにはしばらく時間がかかった。なりすましかなにかじゃないのか。だいたい新居昭乃というひとは、森の湖のほとりの洋館にでも暮らしていて、暖炉の前で編み物でもして、ちがう空気を吸って生きているんじゃないかと思っていた。イメージというのはあてにならない。


それからまもなく、3.11が起きた。すると、その直後から多くのミュージシャンが被災地応援ソングのようなものを発表したり、動画サイトにあげはじめた。そのほとんどは、絆がどうとか、手をつなごうとか、がんばろうとか、きみはひとりじゃないとか、そういったかんじのものばかりだった。それはそれでかまわないけれど、被災者でもない自分がいうのもおこがましいが、そこになんともいえない違和感をおぼえたのも事実だった。だから、それから数日後、新居昭乃が「inori」と題した曲をYouTubeにあげたときも、じつはすこし不安だった。万が一それが、きみはひとりじゃない、手をつなごうみたいな歌だったらどうしようと思ったからだ。


けれども、そうではなかった。ピアノとギターの伴奏だけでうたわれたその短い歌は、耳にはやさしく、美しい調べながらも、深い絶望や恐怖、かなしみや苦しみなどを内にはらんだ、文字どおり、痛々しい祈りにみちた歌だった。それは新居昭乃にしかつくれない歌だった。歌詞には意味はないのだろうと思っていたのだが、あとでそれがヘブライ語の「詩編」の一節をローマ字読みでうたったものであると知った。ただ、いずれにしても、それは意味のある言葉というより、織り込まれたさまざまな思いや感情が声としてほとばしったもののように聞こえた。






今年(2012)の春に「Red Planet」「Blue Planet」という2枚の新しいアルバムが出た。中には映画「西の魔女が死んだ」の主題歌として手嶌葵に提供した賛歌のようにシンプルで美しい曲「虹」のセルフカバーや、ライブで歌われてきた「HAYABUSA」などもおさめられている。これまでの作品より明るめで、集大成的な意味もかんじられる作品なので、これから新居昭乃を聞こうという人にはおすすめである。個人的には Red Planet に収められている「Our Children's Rain Song」が、あまりにも自分の好きなタイプの曲だった。それは雨の歌だ。新居昭乃には雨の歌がいくつかあるが、それは実りをもたらす豊饒のしるしというより、あらゆるいとなみを洗い流し、時に終わりをもたらす残酷な恩寵としてあらわれる。1年前の初夏、三陸の海にふりこめていた、あのしずかな灰色の雨の記憶がかさなる。淡々とした、かなしくも、力強い調べ。聞くたびに、さびしくなり、ますます絶望の浅瀬へと追いやられていく。ああ、きょうも雨だなあ。




次回は1年後なんてことはないように迅速に。。。すくなくとも1ヵ月以内くらいに。

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2010.06.01 (Tue)

Perfume 「ナチュラルに恋して」

前回のLady Gagaから、また半年ぶりの更新である。自分の聞いている音楽についての覚え書きくらいのつもりで始めたのだが、年2回だと、10年でも20回。これでは覚え書きどころではない。更新回数をもう少し増やすために、スタイルを変えてみることにした。これからは、1. 短くする、2. ぶっきらぼうにする、3. 解説しない、4. 説得しない、5. 時間をかけない、6. 自分のために書く、7. 推敲しない、8. まとめない、で書いてみようかと思う。


と書いてみたものの、そんなふうに書かれたものなど、自分でも読みたくないな。。。なんて悩むから書けなくなるんだな。そういうことも気にすまい。


で、半年ぶりがまたPerfumeである。同じ人は扱わないつもりだったのだけど、この春に出た「ナチュラルに恋して」と「不自然なガール」もすごくいいので、やはり半年ぶりの再開はPerfumeだ。仕事中は聞かないけれど、気分が滅入ったときや、車に乗っているときや、たまにiPodもって外に出るときはPerfumeを聞いたり見たりすると、しみじみとPerfumeがいてよかったと思う。


ナチュラルに恋して(初回限定盤)(DVD付)



それは自分にとってももちろんそうなのだが、あ~ちゃんとのっちとかしゆかにとっても、Perfumeがあってよかったなあと、べつにまったく関係ないのに、そんなことを思って親心のようにほっとする。なんなのだろう、この気持ちは。たんに完全にミーハーだということか。


前にも書いたけど、この高揚感は自分に欠落していた時代とのシンクロ感のようなものをPerfumeをとおして感じられるせいかもしれない。それは現代とのシンクロ感覚であるだけでなく、自分の若い時代とのシンクロ感覚でもある。でもノスタルジーとはちがう。彼女たちが表現している世界が、もっとリアルで、現在進行形の感覚として感じられるのである。それがふしぎだ。


そういえば、1年以上前だったか、『新建築』という雑誌を見ていたら、建築家の原広司が、だれかにPerfumeがいいと薦められて、なんとなく動画を見てみたら、いつのまにかしょっちゅう見るようになって、何でいいのかわからないが見ないではいられなくなったというようなことを、かなり破綻した途方に暮れたような文章で書いていた。原広司は、東大の名誉教授でもう70歳を過ぎているはずだが、その気持ちはよくわかる気がする。そうなのだ、なんだかよくわからないけど、かきたてられるのだ。それはAKBとかからはまったく伝わってこないなにかだ。


「ナチュラルに恋して」のあのパステルカラーの衣装と、さわやかで、かろやかで、小気味いいダンスの楽しさ。ナチュラルとは対照的な「不自然なガール」の不自然な人工性の美しさ。けれども、ダンスの魅力の奥に、なにか独特の感覚的イメージ、クオリアというやつかな、それが喚起されるのだ、Perfumeの場合は。



「ナチュラル」はその歌詞や旋律やリズムが、春の快活な光や、かるい風や、とりどりの花の色などをよびおこすようで、その永遠に過ぎ去らない、イデーのような春の気分の中に引き込まれてしまう。腕を組んでスキップするように歩く3人の姿が、幸福の原像のように思われてしかたがない。昨春の「ワンルーム・ディスコ」にしても、昨夏の「ナイト・フライト」にしても、そこに歌われている世界が、けっして自分の経験と結びついているわけではない。にもかかわらず、なんともいえない手触りのあるせつなさがこみあげてくる。



あと、やはり直角二等辺三角形ツアー・バージョンの「edge」はカッコいい。「誰だっていつかは死んでしまうでしょ
だったらその前にわたしの一番硬くてとがった部分をぶつけてsee new world」の「see new world」と「死ぬわ」をかけているところもぞくぞくする。





結局、長くなってしまったし、ミーハー文になってしまった。でも、Perfumeがいてくれて、ほんとうによかった。





03:13  |  Japan Pops  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.12.02 (Tue)

capsule「MORE! MORE! MORE! 」

Perfumeのつぎはcapsule(カプセル)である。capsuleはPerfumeの作詞・作曲・プロデュースを手がける中田ヤスタカが、ボーカルのこしじまとしこ(通称「こしこ」)と組んでいるユニットだ。Perfumeが好きになって、そこからcapsuleに行くというのは、いってみれば冬のソナタから韓流のほかのドラマに手を伸ばすというパターンに近い。いわば王道である。いや、capsuleのほうがオリジナルだから、ある意味、「ぱちんこ冬のソナタ」に初めに出会い、その後、本家であるドラマ「冬のソナタ」を知るという本末転倒なパターンなのかもしれない。

capsuleはいわゆるクラブ(「ひよこクラブ」のクラブとは発音がちがう)を中心に長年活躍している人気ユニットである。以前からクラブに出入りしているような人たちの間では、すでにコアな人気を誇っていたらしい。昔からのcapsuleファンたちは、「Perfumeからcapsuleに来た連中なんて新参者、所詮外様よ」と思っているかどうかはわからないが、Perfume人気でcapsuleの新しいファンがどっと増えたのはたしかだろう。

ぼくの場合は、以前渋谷のクラブに行ったときのヒップホップな経験を書いたこともあるので、譜代とまでは行かないまでも薩長にくらべれば、外様であってもやや格上といっても、さしつかえないかもしれない。

で、このcapsuleなのだがカッコいいのだ。初期の頃はレトロでかわいげな雰囲気なのだが、最近のものはといえばPerfumeの甘さを取り去ってジンとベルモットを加えたドライマティーニのようなサウンドなのである。クラブミュージックというか、エレクトロニカと呼ばれるシンセとコンピューターでつくった音楽はわりと好きだが、capsuleはその中でもひときわドライでカッコいい。語彙が貧しくて情けないがカッコいいとしかいいようがない。中田ヤスタカもカッコいいし、こしじまとしこはレトロでコケティッシュな雰囲気がいい。越島稔子という重たげな本名もいい。こんなかんじのユニットである(アルバムはFLASH BACK)。うーん、カッコいい。

FLASH BACK

カッコいいとはどういうことか。それはおそらく時代の流れをとらえているというだけではだめで、どこかそこに挑発するようなずれや毒があることが必要なのだろう。たんに心地よいだけではなく、どこか苛立たせるような激しさとか、突き放すような冷酷さとか、そういうものが気持ちよさの背後にあることが条件なのだろう。capsuleの音楽はそのあたりのバランスがじつにいい。ウイスキーでもブランデーでもワインでも焼酎のホッピー割りでもなく、カクテル、それもドライでシュガーレスなカクテルなのだ。

Perfumeからcapsuleに手を出してSugarless GiRLFLASH BACKFRUITS CLiPPERcapsule rmxといった最近のアルバムをのきなみ聞きまくり、PerfumeにくわえてまたiPod、カーオーディオもcapsule三昧になって、家でも食器を洗いながらcapsuleだし、洗濯干しながらcapsuleであり、近所のスーパーに自転車で大根を買い物に行くときもcapsuleだ。大根とネギをママチャリの前カゴに入れて走っていても、そんな自分がおしゃれだと勘違いさせてしまうのがcapsuleの怖さである。もちろん食事のときもcapsuleで、さすがにそのときは家人から「食事向きの曲ではない!」とクレームがつくが、そんなのはシカトだ。

で、つい先日新しいのが出た。これはシャンプーのCMでもつかわれている「More More More」という曲がアルバムタイトルになっている作品である。

MORE! MORE! MORE!(初回生産限定)(DVD付)


この中にJumperという曲が入っていて、これのPVが動画サイトで見られる。これがまたカッコいい! PVとしてはシンプルだし、世の中にはほかにもっと完成度の高いPVも存在するし、冷静に見たらいろいろ批判的なこともいえるのだが、いまはかっこよさしか見えない。このPVも中田ヤスタカの作品らしい。




PVの中で、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる猫娘みたいな格好をした女の子たちがグルジェフダンスみたいなカクカクしたダンスをするところもいい。重低音のブレイクのところで、中田ヤスタカが両手を広げて千手観音みたいになるところも、ちょっと笑っちゃうんだけど、そのズレたかんじがいい。

でも、いちばん好きなのはボーカルのこしじまとしこが頭を最初は静かに揺らしはじめ、それから徐々に激しくなっていくところだ。おかっぱの金髪が左右に激しく乱れて、ひるがえった髪に光がきらめくところなど美しくてため息が出る。Perfumeでもそうだったが、女の子になって金髪に染めた髪を振り乱したい。ほかの曲のPVやライブの動画などを見てもそうなのだが、Perfumeとは対照的に、こしじまとしこは凝ったダンスはしない。シンプルに体を揺らしたり、飛び跳ねたりするだけの素人くさいダンスなのだが、そのシンプルな体の揺らしが、じつにぞくぞくかっこよく見える。彼女がしている片目に黒いバッテンのついた白いゴーグルもほしい。

もっとも、アルバムとしては、こんどのMore More Moreもいいのだが、FLASH BACKのほうが全体としての統一感の高さが感じられる。Electric light Moon light なんて都会の夜のかっこよさが匂い立ってくる。また、capsule rmxの中のSugarless GiRLのリミックスバージョンもめくるめくような乾いた疾走感がいい。とくに、あ~あ~あ~あ~あ~あ~というリフレインのところがぞくぞくする(下の動画参照)。



capsule rmx


capsuleを聞くようになってから、またクラブというところに行ってみたくなったのだが、ネットでcapsuleの出演予定のクラブの情報など見ると、始まりが夜の11時である。なんでそんなに遅く始まるのか。うちへ帰れなくなってしまうではないか。でも、きっとそういうことを考えてしまうのがダサいんだろうな。クラブの譜代たちは朝までいるのがあたりまえなんだろうが、やや外様としては家も遠いことだし終電までには帰りたい。となるといられる時間がかぎられてしまう。

あと気になるのは、クラブの独特な雰囲気だ、前回はチーマーに袋だたきにはされなかったものの、はて、中にいる間なにをしたらいいものなのか身の置き所がなかった。用語もよくわからなかった。ドラッグクイーンという女の人たちが出てきたのだが、あれはなんだったのか。ドラッグっていけないものなんじゃないか。彼女たちは棒にからみつくようなダンスをしていたが、あれは最終的にどうなってしまうのか。いけないことにはならないのか。おひねりとかあげないといけないのか。そういうことは終電前に帰ってしまった身には永遠の謎である。

あれから数年たって、また新しいクラブ用語なんかもできているだろうし、それがわからないと中に入れてもらえないということはないのか。そんなわけで、できれば、だれか粗相のないようクラブの作法を教えてくれる人といっしょに行ってみたいのだが。でも、終電があるからな。よい子とよいおやじのための夜7時くらいからやるクラブってないんでしょうか。

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10:41  |  Japan Pops  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2008.11.26 (Wed)

Perfume First Tour「GAME」

このブログは自分が聴いている音楽についての覚え書きのようなものである。ほかに「王様の耳そうじ」というブログがあるのだけど、そっちは個人的な趣味はあまり入れないという原則でやっていたので(実際はそうでもないんだけど)、もうひとつ発作的につくってみた。

あっちのほうだって更新が滞りがちなのに、もう一つやってどうするという気もするのだが、気分も変わるんじゃないかと思って、やってみることにした。原則的に毎回、CDを取り上げるという形式になると思うが、レビューというよりその音楽をネタに思いつくことを書いてみるというものになると思う。

Perfume First Tour 『GAME』
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一回目はPerfumeのPerfume First Tour「GAME」(DVD)。なぜPerfumeなのかというと、日本の旬なアーティストのアルバムを予約して買ったのは、生まれて初めてだったからだ。旬なものに浸って、時代とシンクロする快感というのを知ったのもPerfumeが初めてだった。

きっかけははっきりしていて、YouTubeにあがっていた「シークレットシークレット」という曲のプロモーション・ビデオをなんの気なしに見たことだ。



冒頭、バスドラの音ともにのっちがぱっと目を開けて、シルエットになったタテ乗りのダンスがはじまったときには、不意打ちを食らったように背筋がぞくっとした。なんだ、これは。巧妙な演出と無機的で不思議なダンスに思わず見入ってしまった。

J-Popはほとんど聞かない。街を歩いていて、メガヒットしているらしい曲が流れていて、ああ、こんなのが流行っているのかと思う程度で、すすんで聞きたいと思うことはなかった。だから、シークレットシークレットのPVの衝撃は自分でも思いもよらなかった。

それから毎日、一カ月くらいは毎日なんどもこのPVを再生して、束の間の陶酔にひたった。これまで女性になりたいと思ったことはないけれど、これを見たときは自分も女の子になってシークレットシークレットを踊りたいと気持ち悪いことまで考えた。iPodもカーオーディオもperfumeづくしで、コピーしてピアノでも弾いた。くりかえし動画を見ているうちにPVの細部まで脳裏に焼き付いた。

PV中、イメージシーンでダンスが中断する場面があるが、ステージではその間どんなダンスがくり広げられるのかが気になって仕方がなく、動画サイトをあたっては、その見ることのできないダンスがどんなものなのかを探した。たぶん同じようなことを思っていたファンもいるだろうから、レコード会社側もうかつにライブの映像など流出させない。そんなわけでずっと落ち着かない気分でいたので、ライブのDVDが出ると聞いたときは、迷わず予約した。そのころにはPerfumeの歴史から、各メンバーの性格から、それぞれの曲のダンスの動画から、Perfumeの曲がエンディングにつかわれていたBSフジの深夜ドラマまで網羅していた。りっぱなミーハーである。

なんでこんなに熱病のようにPerfumeに魅せられたのか、よくわからない。もっとも、そういうのはぼくだけでないらしく、それまでJ-popなんてバカにしていた同じく40代くらいのおやじどもが、けっこうPerfumeにはまっているとも聞いた。一説には、彼らがかつて聞いていたYMOやクラフトワークなどのテクノを思い出させるからだともいわれているらしい。だが、これは怪しい。自分もYMOやクラフトワークはそこそこ聞いていたけれど、当時YMOやクラフトワークの人気なんてたかがしれていた。少なくともぼくのまわりではサザンを聞いている人に比べれば、YMOファンなんてごくわずかだった。

Perfumeの魅力をつくってるのは、作詞作曲プロデュースにあたっている中田ヤスタカのつくる曲のよさもあるだろうし、クラブミュージックをベースとし、アナログシンセやボコーダーをつかったサウンドのレトロめいた新鮮さもあるし、無機的でありながら複雑なダンスの魅力もあるだろう。また、3人組の若い女の子でありながらも性的なものを感じさせないキャラクターなどもあるだろうし、過剰なイメージ戦略などのあざとさを感じさせないせいもあるだろう。それでも、この熱病の理由がそれで解けた気はあまりしない。

そのときふと思ったことがある。ひょっとして、これって、数年前のヨン様ブームに似ていないか。むろんヨン様ブームの規模には及ばないものの、数年前、大量のおばさまたちがヨン様にはまったのと似たような力学が、おじさんのPerfume熱に見られるのではないか。

ヨン様ブームがあんなに広がったのは、コアな芸能ファンだけではなく、どちらかといえば芸能ニュースに対してそれまでほとんど関心のなかったインテリおばさま層がヨン様に魅せられたからだと聞いたことがある。芸能情報や女性週刊誌とは無縁だった彼女たちは、知的でピュアな印象を与えるヨン様に、現実の夫や子どもや社会に対して見られない夢を託し、それがのちの韓流につながる一大ブームにつながった(のかな?)。

Perfumeファンの40代以上のおじさんたちにも同じような傾向が見られるのではないか。実際、Perfumeが中田ヤスタカのプロデュースになってしばらくして、ライブに来る人たちの層が変わったと、メンバーが、どこかのインタビューで話していた。それまで集まるのはどちらかといえばださいオタク系が多かったのが、にわかに、ファッションやセンスのいい、かっこいい中年のお客さんが増えてきたというのだ。もっとも、その「かっこいい中年」に自分が含まれるかどうかは別の話である。

ヨン様ファンと同じく、Perfumeファンのおじさんの中には、ふだんは歌謡曲やJ-popなど聞かず、どちらかといえば別ジャンルの音楽を聞いてきて、そこそこインテリでおしゃれだったりして、けれども、現実の妻や子どもや社会に対しては、けっこう夢を失っていて、かといってアイドルとかオタク趣味に走るにはどこかブレーキがかかってしまうというタイプがけっこういるのだろう。Perfumeには、そんなおじさんたちの夢をかきたて、ときめかせるものがある。それはフェティッシュなオタク性や、少女趣味とはちがう。あえていうなら、おやじの中の少年性を甦らせてくれる、なにかせつない感情を刺激されるのだ。それは歌詞が基本的に男の子の視点から書かれていることとも関係があるかもしれない。

Perfumeを聞くとき、おじさんはおじさんの視点から彼女たちの曲を聞くのではなく、かつて少年だった自分にたちかえって、その世界に入っていく。そのときの少年は、現実の自分の少年時代とはかならずしも一致しない。現実の自分は多分にもっとダサくて、さえなかっただろうが、ここでは、ほんとうはこんなふうでありたかったという少年になって、実際には経験したこともない思いに浸るのかもしれない。アーティフィシャルで元気のいいPerfumeの音楽世界は、そんな夢を見るのを可能にしてくれるのだ。


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